2008年08月18日

北京五輪 ロードレースの結果

期待していた北京五輪の自転車競技。
日本人選手がどこまで食い込めるか?

ロードレースは結果的に世界との差を見せつけられ終わりましたが、自転車の文化が日本に根付いて欲しいと思う私はまだまだ始まったばかりと思っています。

ただ、大きく牽引役になるスター選手が出てきて欲しいとは思います。今回の五輪で言えばフェンシングの太田選手のように。スターの存在は世間へそのスポーツの浸透させるに大きく影響しますし、その後に続く世代の人に希望を持たせることになりますから。

さて、注目のイタリア、ダビデ・レベリン選手は銀でしたね。
正直今回のオリンピックは開催側が大丈夫なのか?と思っていました。
マラソンでは北京大学構内では狭くてカーブが多いなど、コース設定が問題視されてましたから。
幸いコースには大きな問題もなかった(あくまでニュース報道の範囲)ようですし、今回のロードのコースは難易度で言えばそれほど厳しいコースでもなく、あとは各国の選抜選手の相性次第と思ってました。ただ、いずれの国もずば抜けて優位性があるとも思えなかったので、イタリアの金もかなり確率的には高いと思っていました。

しかしながら、結果的にはスペインでしたね。スペインは8月後半にブエルタ・ア・エスパーニャが迫ってるので、どこまで本気でくるかとは思ってましたが金取っちゃいました。レースはレース最終的には下駄を履くまでは分からないということですね。

2008年01月13日

カンパニョーロの没落と復活2

カンパニョーロはシマノのSTIに遅れて同じシステムのエルゴパワーを発表しました。

しかし、シマノの勢いは止まりません。逆にカンパニョーロの打つ手の多くが裏目に出ました。

1990年代の中頃になって、ようやくカンパニョーロに復活の兆しが現れ始めました。

自転車競技が大きな盛り上がりを見せるようになりました。特にスター選手がカンパニョーロを使用していたことが追い風になりました。

インデュライン、パンターニなどのビッグネームがカンパニョーロユーザーでした。老舗とヨーロッパメーカーであることの強みでしょう。

ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスの上位入賞者のほとんどがカンパニョーロを使用していたため、一般ユーザーに大きなアピールを示すこととなりました。

シマノユーザーがツール・ド・フランスで優勝するのは、1999年のランス・アームストロングまで待たなければなりませんでした。

その間にカンパニョーロはシマノに追いつき、この2社でローバイクコンポーネント市場を独占することになりました。

その後も両社はしのぎを削って開発競争を続けています。

2008年01月10日

カンパニョーロの没落と復活1

1991年、シマノがSTIの販売を開始して自転車の歴史が変わりました。

STIとは、ロードバイクのブレーキと変速機を一体化したシステムです。F1マシンのハンドルの裏に突いているチェンジレバーと同じような目的のものです。

それまでは、Wレバーと呼ばれるダウンチューブに取り付けられたレバーによって、変速機を操作していました。変速時にはハンドルから手を離さなければなりませんでした。

Wレバーでは瞬時の操作に対応できません。

スプリントの最中のギヤチェンジは不可能だったので、選手たちはスプリントに備えて事前にギヤを選択して、不適当なギヤで走行することを強いられていました。

STIが登場してから一変しました。スプリントが始まっても自動車のように、スピードに合わせてギヤチェンジができるようになりました。

STIを採用しない自転車では勝負にならないほどでした。

STIが登場するまでは、カンパニョーロがロードバイクコンポーネントのリーダーでした。

しかし、STI登場を機にシマノと地位が逆転しました。自転車王国イタリアのリーダーが、自転車後進国である日本のメーカーを追いかける図式となりました。

シマノはMTBにもうまく乗り、さらに躍進することになりました。

その一方カンパニョーロは、MTB市場への参入が失敗。後に撤退して現在も再度参入する様子はありません。

自転車パーツ王者の地位は、完全にシマノに奪われてしまいました。

続く

2008年01月02日

ベッティーニ(イタリア)、2年連続ガゼッタ最優秀選手

パオロ・ベッティーニが2年連続でガゼッタ・プレミオを受賞しました。

この賞はイタリアのガゼッタ・デッロ・スポルト紙が、その年に最も活躍した選手に贈る賞です。

プロツアーチームの監督、主要レースのオーガナイザー、歴代の名選手の投票によって決定されます。

過去の受賞者にはアームストロング・ウルリッヒ・パンターニ・チッポリーニなど、そうそうたる顔ぶれが並んでいます。

そのガゼッタ・プレミオにおいてベッティーニは、2年連続を含む3度目の受賞となりました。

昨年のベッティーニは世界選手権の連覇を成し遂げました。これは1991年と1992年のジャンニ・ブーニョ(イタリア)以来の快挙です。

今年のベッティーニの成績は決して好調と言えるものではありませんでしたが、今回の受賞は世界選手権の功績をたたえられたものだと思われます。

世界選手権はドーピングの疑いをかけれられ出場が危ぶまれていました。同僚のジロ・デ・イタリアチャンピオンのディルーカは直前になってメンバーから外されました。

その逆境をはね返しての2連覇は見事なものでした。

ベッティーニ次ぐ2位は、ツール・ド・フランス初優勝のアルベルト・コンタドール(スペイン)でした。

3位はジロ・デ・イタリア優勝者のダニーロ・ディルーカ(イタリア)でした。

暗い話題の多かったロードレース界ですが、久しぶりに明るいを聞くことができました。

2007年12月26日

今年もドーピングに揺れたロードレース界

今年もロードレース界にドーピングスキャンダルの嵐が吹き荒れました。

ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアという最高峰のレースで優勝を争う選手が相次いでクロだったことで、この競技の存続さえ危ぶまれるのではないか?と思われるほどです。

今年ドーピングでクロとされた、または疑惑を持たれた主な選手です。

イヴァン・バッソ(イタリア
アレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)
ミカエル・ラスムッセン(デンマーク)
ルッジェーロ・マルツォーリ(イタリア
イバン・マヨ(スペイン)
クリスティアン・モレーニ(イタリア
ビョルン・ルークマンス(ベルギー)
パトリック・シンケウィッツ(ドイツ)
ダニーロ・ディルーカ(イタリア

疑惑を持たれながらシロと証明されたアレッサンドロ・ペタッキ(イタリア)はまれなケースでした。

ロードレース界のドーピングは他のスポーツに比べて異常に多いという印象がありました。

しかし最近では、陸上のマリオン・ジョーンズ(アメリカ)がオリンピックのメダルを剥奪されたり、メジャーリーグベースボールが遅ればせながらドーピングの根絶に乗り出しました。

おそらくすべてのスポーツに蔓延しているのでしょう。今は膿を出し尽くす過渡期なのでしょう。

この混乱が少しでも早く収束し、純粋に競技観戦を楽しめる時が来ることを願っています。

2007年12月20日

イタリアの駐輪事情

日本の迷惑駐輪はひどいですね。場所によっては乳母車が通れない歩道もあって危ないことこの上なし。

何とかしてほしいと思う人は少なくないはずです。

イタリアを初めとする自転車文化先進国はどうかと思って調べてみましたが、それらしい情報は得られませんでした。

わかったのは、日本と違って盗まれるのが多いことです。特に高級自転車は。

太いチェーンで電柱に縛り付けても、10分くらい目を離した間に盗まれることもあるようです。

持ち主にからすれば「勘弁してくれ!」ですが、迷惑を被っている人からすれば、「こんなところに駐輪するあんたが悪い!」と思ったりもするでしょう。

日本もイタリアのように盗まれる危険性が大きくなれば、迷惑駐輪が減るかもしれません。

暴論ですが、それくらいでなければ迷惑駐輪はなくならないように思います。

強引に撤去するとしても、費用の負担が問題です。強引に撤去してくず鉄にして、鉄の需要が多い国に売り飛ばしてしまいましょうか。

迷惑駐輪はイヤだ!という動機付けを与えない限りなくなることはないでしょう。

迷走したエントリーでした。

2007年12月14日

ジロ・デ・イタリア歴代総合優勝者

ジロ・デ・イタリア歴代総合優勝者です。

イタリア人の総合優勝は、全90回のうち67回を数えます。
勝率は7割を超えます。加えて最近10回はすべてイタリア人選手が優勝。

ツール・ド・フランスのフランス人選手優勝者は、
1985年のイノーを最後に22年間現れていません。

ロードレース界最高峰のグランツールですが、性格を異にするのが見て取れます。

1909(1回):ルイジ・ガンナ(イタリア
1910(2回):カルロ・ガレッティ(イタリア
1911(3回):カルロ・ガレッティ[2回目](イタリア
1912(4回):アタラチーム:カルロ・ガレッティ[3回目]他2人(イタリア
1913(5回):カルロ・オリアーニ(イタリア
1914(6回):アルフォンソ・カルツォラーリ(イタリア

1915年から1918年は第一次世界大戦のため中止

1919(7回):コスタンテ・ジラルデンゴ(イタリア
1920(8回):ガエターノ・ベローニ(イタリア
1921(9回):ジョバンニ・ブルネーロ(イタリア
1922(10回):ジョバンニ・ブルネーロ[2回目](イタリア
1923(11回):コスタンテ・ジラルデンゴ(イタリア
1924(12回):ジュゼッペ・エンリッチ(イタリア
1925(13回):アルフレッド・ビンダ(イタリア
1926(14回):ジョバンニ・ブルネーロ[3回目](イタリア
1927(15回):アルフレッド・ビンダ[2回目](イタリア
1928(16回):アルフレッド・ビンダ[3回目](イタリア
1929(17回):アルフレッド・ビンダ[4回目](イタリア
1930(18回):ルイジ・マルキシオ(イタリア
1931(19回):フランチェスコ・カミュッソ(イタリア
1932(20回):アントニオ・ペゼンティ(イタリア
1933(21回):アルフレッド・ビンダ[5回目](イタリア
1934(22回):レアルコ・グエラ(イタリア
1935(23回):バスコ・ベルガマスキ(イタリア
1936(24回):ジーノ・バルタリ(イタリア
1937(25回):ジーノ・バルタリ([2回目])(イタリア
1938(26回):ジョバンニ・パレッティ(イタリア
1939(27回):ジョバンニ・パレッティ([2回目])(イタリア
1940(28回):ファウスト・コッピ(イタリア

1941年から1945年は第二次世界大戦のため中止

1946(29回):ジーノ・バルタリ[3回目](イタリア
1947(30回):ファウスト・コッピ[2回目](イタリア
1948(31回):フィオレンツォ・マーニ(イタリア
1949(32回):ファウスト・コッピ[3回目](イタリア
1950(33回):ユーゴ・コプレ(スイス)
1951(34回):フィオレンツォ・マーニ[2回目](イタリア
1952(35回):ファウスト・コッピ[4回目](イタリア
1953(36回):ファウスト・コッピ[5回目](イタリア
1954(37回):カルロ・クレリッチ(スイス)
1955(38回):フィオレンツォ・マーニ[3回目](イタリア
1956(39回):シャルリー・ゴール:ルクセンブルク)
1957(40回):ガストネ・ネンチーニ(イタリア
1958(41回):エルコーレ・バルディーニ(イタリア
1959(42回):シャルリー・ゴール[2回目](ルクセンブルク)
1960(43回):ジャック・アンクティル(フランス)
1961(44回):アルナルド・パンピアンコ(イタリア
1962(45回):フランコ・パルマミオン(イタリア
1963(46回):フランコ・パルマミオン[2回目](イタリア
1964(47回):ジャック・アンクティル[2回目](フランス)
1965(48回):ビットリオ・アドルニ(イタリア
1966(49回):ジャンニ・モッタ(イタリア
1967(50回):フェリーチェ・ジモンディ(イタリア
1968(51回):エディ・メルクス(ベルギー)
1969(52回):フェリーチェ・ジモンディ[2回目](イタリア
1970(53回):エディ・メルクス[2回目](ベルギー)
1971(54回):ゴスタ・ペーテルソン(スウェーデン)
1972(55回):エディ・メルクス[3回目](ベルギー)
1973(56回):エディ・メルクス[4回目](ベルギー)
1974(57回):エディ・メルクス[5回目](ベルギー)
1975(58回):ファウスト・ベルトリオ(イタリア
1976(59回):フェリーチェ・ジモンディ[3回目](イタリア
1977(60回):ミッチェル・ポランティエール(ベルギー)
1978(61回):ヨハン・ゲミュンク(ベルギー)
1979(62回):ジュゼッペ・サローニ(イタリア
1980(63回):ベルナール・イノー(フランス)
1981(64回):ジョバンニ・バッタリン(イタリア
1982(65回):ベルナール・イノー[2回目](フランス)
1983(66回):ジュゼッペ・サローニ[2回目](イタリア
1984(67回):フランチェスコ・モゼール(イタリア
1985(68回):ベルナール・イノー[3回目](フランス)
1986(69回):ロベルト・ヴィセンティーニ(イタリア
1987(70回):ステファン・ロッシュ:アイルランド)
1988(71回):アンドリュー・ハンプステン(アメリカ)
1989(72回):ローラン・フィニョン(フランス)
1990(73回):ジャンニ・ブーニョ(イタリア
1991(74回):フランコ・キオッチョーリ(イタリア
1992(75回):ミゲル・インドゥライン(スペイン)
1993(76回):ミゲル・インドゥライン[2回目](スペイン)
1994(77回):エフゲニー・ベルツィン(ロシア)
1995(78回):トニー・ロミンゲル(スイス)
1996(79回):パヴェル・トンコフ(ロシア)
1997(80回):イヴァン・ゴッティ(イタリア
1998(81回):マルコ・パンターニ(イタリア
1999(82回):イヴァン・ゴッティ[2回目](イタリア
2000(83回):ステファーノ・ガルゼッリ(イタリア
2001(84回):ジルベルト・シモーニ(イタリア
2002(85回):パオロ・サヴォルデッリ(イタリア
2003(86回):ジルベルト・シモーニ[2回目](イタリア
2004(87回):ダミアーノ・クネゴ(イタリア
2005(88回):パオロ・サヴォルデッリ[2回目](イタリア
2006(89回):イヴァン・バッソ(イタリア
2007(90回):ダニーロ・ディルーカ(イタリア

2007年12月08日

ジロ・デ・イタリア複数回優勝選手

ジロ・デ・イタリアにて複数回の総合優勝を成し遂げた選手です。

<2回>

ジョバンニ・パレッティ(イタリア
シャルリー・ゴール(ルクセンブルク)
フランコ・パルマミオン(イタリア
ジャック・アンクティル(フランス)
ジュゼッペ・サローニ(イタリア
ミゲル・インドゥライン(スペイン)
イヴァン・ゴッティ(イタリア
ジルベルト・シモーニ(イタリア
パオロ・サヴォルデッリ(イタリア

<3回>
カルロ・ガレッティ(イタリア
ジョバンニ・ブルネーロ(イタリア
ジーノ・バルタリ(イタリア
フィオレンツォ・マーニ(イタリア
フェリーチェ・ジモンディ(イタリア
ベルナール・イノー(フランス)

<4回>

なし

<5回>

アルフレッド・ビンダ(イタリア
ファウスト・コッピ(イタリア
エディ・メルクス(ベルギー)

さすがにイタリア人選手が圧倒的勝っています。
1997年から2007年まではすべての優勝者がイタリア人です。

近年ではジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの両方に出場する選手が少なくなりました。

スケジュール的に両方に出るのは厳しいので、イタリア人以外の有力選手はツール・ド・フランスを選択する例が多くなっています。

2007年12月04日

ジロ・デ・イタリア2008コース発表

12月1日、ジロ・デ・イタリア2008のレース概要が発表されました。

イタリア南部シチリア島のチームタイムトライアルからスタートします。

今回は最終日に個人タイムトライアルが設定されています。例年ならミラノへの凱旋レースですが、今回は最終日に大逆転!といったドラマの可能性もあります。

チマコッピは第20ステージのガヴィア峠。最後の最後まで目を離せないレース展開が期待できます。

頂上ゴール:4ステージ、個人タイムトライアル:3ステージという設定になっています。

以下ステージリスト

5月10日(土)第1ステージ パレルモ(チームTT)
5月11日(日)第2ステージ セファル~アグリジェント
5月12日(月)第3ステージ カターニア~ミラッツォ
5月13日(火)第4ステージ ピッツォ・カラブロ~カタンツァーロ・ルンゴマーレ
5月14日(水)第5ステージ ベルヴェデーレ・マリッティモ~コントゥルシ・テルメ
5月15日(木)第6ステージ ポテンツァ~ペスキチ
5月16日(金)第7ステージ ヴァスト~ペスココスタンツォ
5月17日(土)第8ステージ リヴィソンドリ~ティヴォリ
5月18日(日)第9ステージ チヴィタヴェッキア~サン・ヴィンツェンツォ
5月19日(月)休息日
5月20日(火)第10ステージ ペザーロ~ウルビーノ(個人TT)
5月21日(水)第11ステージ ウルバニア~チェゼーナ
5月22日(木)第12ステージ フォルリ~カルピ
5月23日(金)第13ステージ モデナ~チッタデッラ
5月24日(土)第14ステージ ヴェローナ~アルペ・ディ・パンペアーゴ/ヴァル・ディ・フィエンメ
5月25日(日)第15ステージ アラッバ~パッソ・フェダイア/マルモラーダ
5月26日(月)第16ステージ サン・ヴィジリオ・ディ・マレッベ~プラン・デ・コロネス(個人TT)
5月27日(火)休息日
5月28日(水)第17ステージ ソンドリオ~ロカルノ
5月29日(木)第18ステージ メンドリシオ~ヴァレーゼ
5月30日(金)第19ステージ レニャーノ~プレゾラーナ/モンテ・ポーラ
5月31日(土)第20ステージ ロヴェッタ~ティラーノ
6月1日(日)第21ステージ チェザーノ・マデルノ~ミラノ(個人TT)

2007年11月26日

イタリアの至宝のコラボ

東京と大阪で行われたサイクルモード2007において、コルナゴによるフェラーリ60周年モデルが発表されました。

世界限定60台。日本には20台が入ってきますが、既に10台は予約済みとのこと。さすがお金持ち日本ですが、果たして購入は実際に乗るのでしょうか。それとも展示品でしょうか。

イタリアが世界に誇るフレームビルダーコルナゴとあのフェラーリのコラボレーション。

コンポーネントはもちろん、イタリアの芸術品カンパニョーロレコード。

ホイールはフルクラム。航空宇宙エンジニアたちの手によって生まれた最先端技術によって作られています。もちろんイタリアのメーカーです。

マニアならヨダレが出そうなこのバイク。マニアじゃなくてもほしいですね。

そのお値段は、1,890,000円。

高いと見るか安いと見るか。自転車ファンなら安く感じるんじゃないでしょうか。買えるかどうかは別にして。

自転車はお金さえ出せば、誰でもトッププロと同じ性能のバイクに乗ることができます。

F1レーサーと同じ、いやそれをも上回るかもしれないバイクの乗れるのであれば、200万円は安いと思いませんか。

フェラーリのカーボンをコルナゴがフレームに、加えてカンパレコードにフルクラム。目がくらむなんてダジャレも出てしまいます。

死ぬまでに一度はこんなバイクを手にしたいものです。

2007年11月20日

イタリアが誇る最強のスプリンター

世界最強のスプリンターがペタッキだということは、ロードレースファンの誰もが異論のないところでしょう。アレ・ジェットと呼ばれる爆発的なスプリントが特徴です。

特に圧巻なのは2004年のジロ・デ・イタリア。ステージ9勝は驚異的でした。

ジロ・デ・イタリア以外にも、ブエルタ・ア・エスパーナやパリ~ツール、ミラノ~サンレモなどの大きなレースで勝利を重ねています。

怪我のため2006年を棒に振った形になりましたが、2007年には復活。ジロ・デ・イタリア5勝など素晴らしい結果を残しています。

これでジロ・デ・イタリア通算24勝に伸ばし、歴代6位となりました。

典型的なスプリンターで、チームメートの列車から満を持して発車されるのが彼の勝ちパターンです。

逆に、列車がなければ勝てないタイプのスプリンターです。非常にわかりやすく、スプリントが始まる前に彼の勝ち負けは大体わかるくらいです。

豪快なスプリントとは裏腹に、とても穏やかな人柄で知られています。また、典型的なイタリアの伊達男といった風情です。

来年2008年の5月に第一子が生まれる予定です。

ますますの活躍が期待されます。

2007年11月15日

あこがれのカンパニョーロ

ロードバイクのコンポーネントでは、カンパニョーロとシマノが世界のシェアーを分け合っています。最近スラムが進出して高い評価を得ていますが、これからといったところでしょう。

カンパニョーロはシマノと違い、ロードバイクのコンポーネントに特化しています。イタリアが生んだ芸術品とも言えるカンパニョーロは、すべてのロードバイクファンのあこがれでもあります。

カンパニョーロとシマノがしのぎを削ることにより、技術は加速度的に発展しています。

シマノがSTIを開発して一歩リードすると、カンパニョーロはすかさずエルゴパワーを発表しました。

シマノが9スピードを開発したら、カンパニョーロは10スピードで対抗しました。

カーボン化はカンパニョーロが先を行っています。自動変速の開発もシマノより進んでいるようです。

シマノとの大きな違いは、歴史とデザインに支えられた高いブランドイメージです。これは、自動車やファンションと同様イタリアが最も強みとするものかもしれません。

シマノの同クラスの製品と比べると、価格はかなり割高です。しかし、ブランド好きな日本人の性格も相まって、特にフラッグシップモデルが売れるという状況になっています。

フラッグシップは「レコード」。カンパニョーロレコードの名を聞くだけで、ロードバイクファンの多くが何らかの反応を示すほどです。

2007年11月06日

自転車に優しいイタリア・フェッラーラ

日本は自転車の市民権が確立されていない国です。

道路交通法上、自転車は軽車両に属します。本来車道を走るべきものですが、それを認識している人はわずかです。車道を走っているとクラクションを鳴らすドライバーもいるくらいです。

ヨーロッパでは違います。車両として認識されています。自転車レースの本場ということもあり、日本のようにあいまいな認識をもたれてはいません。

ヨーロッパの中でも自転車の街として知られているのはイタリアのフェッラーラです。驚くことに、市長や議員の公用車にも自転車が使われています。

ヨーロッパには環境を守るために市街地への自動車の乗り入れを制限している街があります。イタリアのフェッラーラもその一つです。

フェッラーラは、単に車の規制をするだけはなく、市民が進んで自転車を選択するような政策をとっています。

自転車はもちろん無公害です。健康にも良いのは言うまでもありません。環境保全と健康増進にぴったりの乗り物です。日本でももっと理解が進んでほしいものです。

イタリアへ行く機会がありましたら、ぜひフェッラーラを見てください。自転車に恵まれた環境を見ると、日本の環境を変えたくなるはずです。

2007年11月02日

ジロ・ディ・ロンバルディア

ジロ・ディ・ロンバルディア

UCIプロツアーの最終戦を締めくくるレースがジロ・ディ・ロンバルディアです。

イタリア北部ロンバルディア州の高級リゾート地として有名なコモ湖畔で行われます。242kmを一日で走りきるワンデイレースです。

伝統のあるレースはクラシックと呼ばれます。このジロ・ディ・ロンバルディアもクラシックレースの一つです。

毎年10月に開催され、赤や黄色に染まった木々の間を選手たちが駆け抜けます。そのため、「落ち葉のクラシック」と呼ばれます。

また、クラシックレースには珍しく、登りの能力が要求されるコースでもあります。2006年は、名物であるキザッロ教会への登りで小集団に絞られ、最後はペッティーニ(イタリア)が逃げ切りました。

今年のジロ・ディ・ロンバルディアは、

パオロ・ベッティーニ(イタリア)が3連覇を果たすか?
それとも、2004年の覇者ダミアーノ・クネゴ(イタリア)が返り咲くか?

などなど、イタリア人ファンにとっては、より期待の大きいレースでした。

残念ながら、ベッティーニ(イタリア)キザッロ教会への登りで遅れ、そのまま沈んでしまいました。

勝ったのはクネゴ(イタリア)。ラスト200mのスプリントで勝利を奪い取りました。

クネゴにとってはシーズン6勝目。最高の形でシーズンを締めくくることになりました。

2007年10月27日

フォンドリエスト

フォンドリエストは、80年代から90年代にかけて活躍したイタリア人選手マウリツィオ・フォンドリエストが1991年に設立した自転車工房です。自らが所属するチームのサプライヤーにもなりました。

近年、自転車のフレーム素材がアルミからカーボンにシフトしていますが、いち早くカーボンを採用した工房の一つです。

カーボンフレームを製造する工場はイモラにあります。イモラと言えば、フェラーリやランボルギーニなどのスポーツカーメーカーが集中している地域です。この工場には、F1のミナルディでカーボンのイロハを学んだ職人にもいます。

いち早くカーボンにシフトした理由は、アルミよりカーボンの方が耐久性に優れているからです。

トップ選手のように1レースごとに新しいフレームを支給される人はともかく、一般レーサーはそのようなわけにはいきません。それなら、多少高価になってもカーボンを使う方が結果的には懐にやさしいことになります。

2003年を最後に、プロチームへの供給をストップしました。カーボン工場へ多額の投資をしたこともあり、今は販促より技術を高める時期と位置づけているようです。

近い将来、またフォンドリエストのロゴが描かれた自転車が大舞台で活躍する姿を見ることになるでしょう。

2007年10月22日

ジロ・デ・イタリア優勝者がドーピングで出場停止

今年のジロ優勝者までもがドーピングスキャンダルに巻き込まれることとなりました。

2007年のジロ・デ・イタリア優勝者、また2007年プロツアーの暫定リーダーであるダニーロ・ディルーカが、「オイルフォードラッグス」に関与している疑いがあるとされました。

イタリアオリンピック委員会(CONI)は、3ヶ月間の出場停止処分を下しました。

「オイルフォードラッグス」とは、2004年に始まったイタリア当局によるドーピング捜査です。イタリア人医師カルロ・サントゥッチョーネ氏が中心人物と見られています。

また、サントゥッチョーネ医師は自転車選手に限らず、イタリア人アスリートに禁止薬物を提供していたとされています。

ディルーカはドーピングと断定されたのではなく、サントゥッチョーネ医師との関係を持っていたことに起因します。本人は無実を主張しています。

しかし彼は世界選手権を欠場し、プロツアーランキングから除外されることとなりました。仮に無実が証明されたとしても、既に制裁を受けていることになります。

同じイタリア人レーサーのペタッキは、無実を獲得してレースに復帰しています。ディルーカの無実を祈りたいところです。

2007年10月17日

BASSO(バッソ)

バッソはカンパニョーロがあるヴェネト州ヴィチェンツァにある自転車工房です。1979年創設と歴史は浅いのですが、短期間でヨーロッパのトップメーカーとなりました。

比較的規模の大きな工房ですが、これまで日本にはあまり入ってきませんでした。最近になってようやくお目見えするようになりました。

ユニークなのはドイツ市場を重視していることです。

「ドイツの消費者はブランドに惑わされず本当によいものを見極める力がある。ドイツで受け入れられた自転車は良い自転車の証明である。」というユニークな方針をとっています。

創設者は1972年のロード世界チャンピオンであるマリーノ・バッソとその兄弟です。

マリーノは通算82勝をあげているイタリアの名選手です。アルチーデはメカニックとしてビアンキ(イタリア)など強豪チームで活躍しました。

バッソは名選手とメカニックが支える質実剛健な自転車工房です。

2007年10月09日

GIOS:イタリア・トリノのフレームビルダー

GIOSブルーと呼ばれる鮮やかなブルーが代名詞のトリノを本拠とするブランドです。昔は GIOS TRINO のロゴが大きく入れられていましたが、現在では TORINO が省かれ GIOS のみとなっています。

日本では「ジオス」と呼ばれて親しまれています。イタリア語的に発音すると「ジョス」です。古い雑誌では「ジョス」と紹介されていることもあります。

エントリーモデルのエアロライトは安価で日本でも人気のあるモデルです。1948年に設立された伝統あるブランドですが、手の届きやすい親しみのあるイメージを持たれています。

もちろんハイエンドモデルも充実していて、2007年はスペインの有力チーム・リラックスにフレームを供給しています。

特に評価が高いのは溶接の精度の高さで、「イタリア製でありながらドイツ的」と言われています。ビギナーにもすすめする人が多いのは、ここに秘密があるのかもしれません。

ブルー以外のフレームはほとんど作っていませんが、かつてはオレンジしか作らない次期がありました。

70年代にブルックリンチームのスポンサーとなってから変わりました。ブルックリンチームにブルーのフレームを供給し、このチームが大躍進することとなります。

特に、パリ~ルーベを4回も制したロジェ・ド・ブラマンクのおかげで GIOS とブルーのブランドが確立されました。

GIOS を語る上で忘れてはならないのが可変式リヤエンドです。フレームスケルトンを変えることなくポジションの移動を可能にしました。この可変式リヤエンドは GIOS が特許を持っています。

2007年10月03日

ピナレロ

ユニークな形状のONDAフォークとシートステイが特徴的なピナレロ。

コルナゴやデローザと並び称される、サイクリストあこがれのイタリアンロードバイクブランドです。

意欲的に新しい技術を取り入れるブランドとしても知られています。

カーボンバックを1998年に採用すると、翌99年はライバルメーカーがこぞってカーボンバックのバイクを投入してきました。

マグネシウムフレームを採用したのもピナレロのドグマです。ドクマを駆ったファッサボルトロ時代のペタッキは勝利を量産しました。

他社も追随しそうなものですが、技術的なハードルが高いようで、今でもドグマ以外のマグネシウムフレームがレースシーンに登場することはありません。

ピナレロと言えば長らくアルミフレームビルダーの頂点の地位にいましたが、カーボンが全盛となった昨今ではコルナゴやデローザの後塵を拝している感がありました。

しかし、ついにピナレロもフルカーボンバイクのラインナップを揃えてきました。歴史に残る名車PARISがフルカーボンになって再登場しました。

ピナレロユーザーの頂点に立つのがインデュラインです。

ピナレロを駆ったインデュラインは、ツール・ド・フランス5回、ジロ・デ・イタリア2回の優勝を飾っています。

インデュラインの活躍は、ピナレロのトップメーカーの地位を確固たるものにしました。

新しい試みを積極的に取り入れていくブランドとして、オペラを立ち上げました。

ピナレロの挑戦はまだまだ続いていきます。

2007年09月27日

デローザ

コルナゴは自転車界のフェラーリと呼ばれることがありますが、コルナゴがフェラーリならデローザはベンツといったところでしょうか。質実剛健がイメージのイタリアのトップメーカーです。

バリバリのレースマシンメーカーですが、ハートのマークが愛らしいことから女性にも人気があります。

創始者ウーゴ・デ・ローザは、プロチームのメカニックとしてキャリアをスタートしました。

その後、自転車作りに専念するようになり、世界最高のロードレーサーであるエディ・メルクスのフレームを制作するようになりました。そしてコルナゴと並び称させるフレームビルダーに成長していきます。

エディ・メルクスは引退後、故郷ベルギーで自身の名前をブランド名にあしらった「エディ・メルクス」ブランドの自転車工房を興します。

立ち上げ直後から軌道に乗るまで、デローザのもとでメルクス自身や職人が教えを請いました。また、ウーゴ・デ・ローザがメルクスの工房を訪れてマスター役を勤めたりもしました。

今では、エディ・メルクスもトップレベルの自転車メーカーに成長しています。

ウーゴ・デ・ローザは、自分から売り込んだことは一度もないと言います。メカニックの仕事もフレームの注文も、すべては腕を見込んで頼まれたことが現在に続いています。

また、選手が密かに頼んでくるものも快く引き受ける人でした。頼られたことに誠実に応えることによって大きくなった、イタリアのトップフレームビルダーです。

2007年09月21日

ファウスト・コッピ

ファウスト・コッピは自転車界のみならず、イタリアスポーツ界において伝説的としてたたえられている存在です。輝かしい経歴に加えて、享年41才という悲劇性も彼を伝説化しています。

歴代の名選手の中でも際だった戦績を残しています。ロードレース界のチャンピオンの中のチャンピオンと呼ばれるのは、あのエディ・メルクスとファウスト・コッピのみです。

彼の名前を冠したロードバイクブランド、ファウスト・コッピが日本でも販売されています。輸入元は城東輪業社。
http://joto-jp.com/

1940年、弱冠19才でジロ・デ・イタリアにて総合優勝を果たします。その後もめざましい戦績をあげ続けます。

1949年には、史上初のダブルツール(同一年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスを制覇すること)を果たします。1953年に、再びダブルツールを成し遂げます。

ジロ・デ・イタリア5勝、ツール・ド・フランス2勝、世界選手権制覇など、輝かしいという言葉がこれほどふさわしい戦績はそうはありません。

1959年、休暇を楽しんだアフリカにてマラリアに感染。帰国後に発症して、そのまま帰らぬ人となりました。享年41才。

ツール・ド・フランスの象徴的な峠であるラルプ・デュエズのステージには歴代の優勝者の名前が刻まれています。最初に刻まれたのがファウスト・コッピです。

2007年09月16日

ジルベルト・シモーニ

ジルベルト・シモーニは現在のイタリアを代表するクライマー(山岳ステージのスペシャリスト)です。

蜘蛛男のニックネームで知られています。山を登るときの彼の姿が蜘蛛のすばしっこさを連想させるのでしょう。

ジロ・デ・イタリアでは2回の優勝(2001年、2003年)を誇りますが、ツール・ド・フランスでは目立った成績を残していません。

ジロとツールの間隔が短すぎるため、双方で活躍するのは至難の業となっています。もうダブルツールを成し遂げる選手は現れないかもしれません。

長くサエコのエースとして活躍していましたが、ダミアーゴ・クネゴの台頭によりエースの座を追われた形になってしまいました。ランプレを経てサウニエルドゥバルへ移籍しました。

ロード選手としてのピークは越えてしまった感がありますが、本人はまだまだ老け込む気持ちはないようです。

2008年の北京オリンピックにMTB種目での出場を目指しています。過日初めて出場したMTBのレースで見事優勝しています。

MTBからロードへの転向はよくあります。ランス・アームストロングはトライアスロンからの転向組です。しかし、ロードからMTBへの転向は珍しく話題になっています。

2008年には37才になるシモーニですが、オリンピックでの活躍を期待したいものです。

2007年09月09日

マルコ・パンターニ

サイクルロードレース界のイタリアの英雄と言えば、マルコ・パンターニです。

彼の最高の戦績は1998年のダブルツールです。パンターニが成し遂げたのを最後にダブルツール達成者は現れていません。

※ダブルツール
同一年に「ジロ・デ・イタリア」と「ツール・ド・フランス」の2つのグランツールに優勝すること。

稀代のクライマー(山登りのスペシャリスト)として、山岳ステージで多くの名勝負を演じています。

ツール・ド・フランスの名物峠ラルプ・デュエズでは、1997年に最短登坂記録を打ち立てました。未だに破られていません。

ジロ・デ・イタリアでは、彼の功績をたたえて2004年から「チマ・パンターニ(パンターニの山)」を設定しています。毎年沿道には彼のイラストや横断幕を掲げたファンでにぎわいます。

1999年から彼の人生が狂いはじめます。

ジロ・デ・イタリア2連覇を果たす寸前、メディカルチェックの結果により出場停止となりレースから追放されました。

後に裁判でドーピングについては無罪となりましたが、結局最後までドーピング疑惑に苛まれることになります。

サイクルロードレース界におけるドーピングスキャンダルの根は深く、今年のツール・ド・フランスでも、総合トップのラスムッセンや優勝候補筆頭のヴィノクロフがレースから追放されたのは記憶に新しいところです。

マルコ・パンターニは、2004年2月14日、34才の若さで急死しました。

ドーピングスキャンダルのスケープゴートにされたとの思いが強かったようです。

失意からコカインに手を出しコカイン中毒により死亡。栄光から地獄へたたき落とされた終末ですが、今でもイタリアの英雄として愛されています。

2007年09月05日

ビアンキ

ビアンキは、ロードバイクだけではなく、MTB、クロスバイク、小径車も充実した自転車メーカー、2005年に120周年を迎えた老舗です。イタリア王妃に自転車の乗り方をレッスンしたという逸話を持っています。

プロユースから汎用モデルまで幅広く取扱い、生産台数は自転車メーカーの中でトップを争う規模です。

ビアンキと言えばチェレステカラーです。特徴的なカラーで、遠目にも一目でビアンキと認識できるビアンキのアイデンティティです。チェレステカラーの小径車はおしゃれで女性にも人気です。

街乗り用自転車もたくさん作っていますが、実はバリバリのロードバイクブランドでもあります。

ダブルツールを達成した選手は過去に7人しかいませんが、そのうち2人のイタリア人ライダー、ファウスト・コッピとマルコ・パンターニはビアンキのバイクで成し遂げています。

ビアンキはMTBの分野でも大活躍しています。現在のワールドチャンピオンでありアテネオリンピック金メダリストのジュリアン・アブサロンはビアンキのバイクに乗っています。

ビアンキは、おしゃれな街乗り自転車からバリバリのレーサーまで、自転車を愛する人すべてをフォローするイタリアの老舗自転車メーカーです。

2007年08月31日

コルナゴ

自転車メーカーの中でも一目置かれあこがれの存在であるのがコルナゴです。

自転車界のフェラーリとも言える存在です。そういうとファンに叱られるかもしれません。フェラーリは自動車界のコルナゴとしておきましょう。

同じイタリアメーカーである両社は近い関係にあります。コルナゴのフレームにはフェラーリF1マシンのカーボンが使用されています。

多くの自転車メーカーは初心者からプロユースまで幅広い層をフォローしていますが、コルナゴは基本的にピュアレーシングバイクしか生産していませんでした。

最近はそうでもなくなったようで、コストパフォーマンスのよいエントリーモデルも販売されています。今の日本は静かな自転車ブームが起きていますが、その市場の声に押されたものかもしれません。

しかし、がっかりしているファンも少なからずいることでしょう。

初心者がいきなり手を出すには少々敷居の高さが感じられます。それもあこがれを生む要素となっているのかもしれません。

一見すると非常にオーソドックスな感じがするコルナゴのバイクですが、スターフォークやHPチェーンステーなど革新的な技術が用いられています。

サイクリストあこがれナンバーワンのブランドがコルナゴです。

2007年08月24日

ジロ・デ・イタリア

サイクルロードレースには、一日のみのワンデイレースと複数のステージの総合成績を争うステージレースがあります。

ステージレースの最高峰は、3大ツールと呼ばれる「ツール・ド・フランス」「ジロ・デ・イタリア」「ヴェルタ・ア・エスパーニャ」です。

「ジロ・デ・イタリア」は、3大ツールの先頭を切って毎年5月に開催されます。約3週間かけてイタリアを一周します。

3大ツールの中で最もグレードが高いとされるのは「ツール・ド・フランス」ですが、最も過酷で厳しいレースは「ジロ・デ・イタリア」と言われています。

レースで大きな差がつきやすいのは山岳ステージとTTです。「ジロ・デ・イタリア」は過酷な山岳ステージが特徴です。山を制した過去の偉大なチャンピオン達に敬意を表して、「チマ・コッピ」「パンターニの山」などと名付けられる峠があります。

同一年に「ジロ・デ・イタリア」と「ツール・ド・フランス」の両方を制することを「ダブルツール」と言います。過去に7人が成し遂げています。

イバン・バッソが8人目と期待されていましたが、残念ながらドーピング発覚によって表舞台から姿を消しました。

現在では、スケジュールの面から「ダブルツール」は無理だろうという空気が一般的です。有力選手のほぼすべてがどちらか一方に照準を合わせています。

代表的なのはランス・アームストロング。彼は「ツール・ド・フランス」1本に絞ったレース活動をしていたので、批判を受けることもしばしばありました。

最後にダブルツールを果たしたのは、イタリアの英雄マルコ・パンターニの1998年でした。

イタリアの選手はもちろん「ジロ・デ・イタリア」を最も大切なレースと位置づけています。実際この10年間、毎年イタリア人が優勝しています。

過去に3人の日本人が出場を果たしています。

市川雅敏:1990年50位フィニッシュ
今中大介:1995年途中リタイア
野寺秀徳:2002年139位フィニッシュ

日本でトップの彼らも当然アシストとして参加したわけですが、それでも1回しか出場できず、何とか完走できたという成績です。レースの過酷さが伝わってきます。

有力選手の相次ぐドーピング疑惑に揺れるサイクルロードレース界ですが、一気に世代交代が進み若い新星が表れ、この危機を救ってくれることでしょう。

2007年08月15日

ダニーロ・ディルーカ

UCIワールドカップからUCIプロツアーへ衣替えした2005年、初代のチャンピオンに輝いたのがダニーロ・ディルーカです。

今年は念願の春のクラシック、リエージュ~バストーニュ~リエージュを制し、勢いそのままジロ・デ・イタリアを制しました。

以前からその才能を認められ注目されていましたが、デビューから9年かけてようやくジロ・デ・イタリアの頂点に上り詰めました。

31才。円熟期を迎えつつあり、これからますますの活躍が期待されます。

ドーピングスキャンダル吹き荒れるサイクルロードレース界において、エース的存在になりえる選手でしょう。

170cm・61kgと小柄ながら、一撃で相手をねじ伏せるような爆発的なパワーを持った選手です。

しかも、イタリアの伊達男といった感じでかっこいい。天は二物を与えてしまったようです。

日本ではまったく人気のないサイクルロードレースですが、ヨーロッパでは確固たる地位を築いています。

最近はドーピング疑惑により人気が下降中とのことですが、ディルーカのような選手を中心としてこの困難を乗り越え、再び光り輝くことと思います。

2007年07月30日

イバン・バッソ

イバン・バッソは、

ロードレース界におけるイタリアの英雄・・・でした。

ランス・アームストロングに唯一対抗できる存在であったイバン・バッソは、2006年のジロ・デ・イタリアに圧勝しました。アンタッチャブルな強さを見せつけました。

パンターニ以来のダブルツールを大いに期待されましたが、ドーピング問題(オペラシオン・プエルト)のあおりを受け、それ以後のレース出場中止を余儀なくされました。

調査の結果「シロ」と見なされレースへの復帰が認められました。ディスカバリーチャンネルと契約し、ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスのダブルツールを期待されました。

しかし事態は急変。匿名の苦情を受けて、イタリアオリンピック委員会はバッソの調査を再開しました。その結果、バッソのドーピングが判明しました。

21ヶ月の出場停止処分を課されました。彼は処分停止後に復帰する意向を示してますが、現在ロードレース界に吹き荒れるドーピングスキャンダルを考えると、彼と契約したいというスポンサーは現れないでしょう。

本日全行程を終了したツールでも、衝撃のドーピングスキャンダルが吹き荒れました。

選手個人の選手生命を絶たれるだけならまだましかもしれません。

チームの存続を危うくし、チームスタッフの職が危うくなります。スポンサーの多くはサポートを打ち切るでしょうから、消えるチーム、失業するスタッフが多く出ることは間違いありません。

イタリアの英雄は、自転車界の信用を失墜させた張本人の一人になってしまいました。

2007年07月21日

パオロ・ベッティーニ

イタリアには優れた自転車ロードレースの選手が多数いますが、その中の一人がパオロ・ベッティーニです。

ワンデイレースにめっぽう強く、ワールドカップ総合優勝、アテネオリンピック優勝を果たしています。

そして、2006年9月、オーストリアのザルツブルグで行われた世界選手権にイタリアチームのエースとしてエントリー。他の有力選手を外してベッティーニ勝利のためのチームを組んだ監督には、選手はもとよりイタリア国内から批判が集まりました。

しかし、ふたを開けてみれば優勝。ついに世界チャンピオンの栄光を手に入れました。イタリアチームのレース運びが完璧だった上、ベッティーニは自身は生粋のスプリンターであるツァベルをゴール前で差しての優勝でした。

グランツールの総合優勝を狙う選手ではありませんが、いつもでステージ優勝できる力を持っています。

今年のジロ・デ・イタリアでは、第8ステージにて優勝目前のところをノルウェーのアルヴェセンにかわされ2位となりました。残念ではありましたが、実力をしっかりと見せてくれました。