2007年12月11日

イタリアの歴史063帝政ローマ20(五賢帝時代の最後・後半)

共同皇帝だったルキウス・ウェルスが亡くなった後、
マルクス・アウレリウスが単独皇帝となります。

先帝アントニヌス・ピウスが対外政策に力を入れなかったため、
蛮族の侵入や、パルティアの攻撃など、
数々の難問に直面しますが、その問題に果敢に対処しました。

それまでの五賢帝時代は、優れた者を後継者として養子にし、
帝位を継承させるという慣習が存在しましたが、
彼は実子のコンモドゥスを後継者とし、
ここに五賢帝時代は終わりを告げます。

もっとも、それまでの皇帝には法律上の結婚に
基づく実子がいなかったため、
そのような慣習が無かったという説もあるようです。

そして、皇帝たちは後継者を選ぶ際には、
元老院の承認を必要とされ、
アウレリウス帝も実子を選ぶ際には承認を得ています。

一方、アウレリウス帝は「哲人皇帝」と呼ばれ、
日々の思索と哲学を記した『自省録』を著しています。

また、帝国の安定のため、
当時衰えていた伝統の神々の祭祀を復興して、
帝国の精神的紐帯とすることを図ります。

そのため、多神教の礼拝を拒んだキリスト教徒を、
帝国の安定を危うくする存在として迫害しました。


因に、中国の後漢の史書『後漢書』西域列伝の大秦国の記事に、
「大秦王安敦」の使者がきたとの記述がありますが、
これがマルクス・アウレリウス・アントニヌスとされています。

 ※当時の中国ではローマ帝国のことを
  「大秦国」と表記していました。


すでに2世紀頃には東西の大国同士で
使者の往来があったんですね!

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「五賢帝」「マルクス・アウレリウス」の項

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