2007年12月05日

イタリアの歴史062帝政ローマ19(五賢帝時代の最後・前半)

五賢帝時代最後の皇帝となったのが、
マルクス・アウレリウス・アントニヌスです。

彼には同じく先帝アントニヌスの養子となった共同皇帝の
ルキウス・ウェルスがいました。

130年に生まれ、詩作と弁論を好んだルキウスは、
154年に32歳の最低年齢を大幅に下回り執政官となります。

161年にマルクス・アウレリウスとともに執政官を務めますが、
この年に先帝アントニヌス・ピウスが亡くなり、
マルクス・アウレリウスが皇帝の座を継ぎ、
ルキウスが共同皇帝となります。

2人は同等の権利を有していましたが、
実際の政務は、121年生まれで年長の
マルクス・アウレリウスが指導的な立場を握っていました。

また、ルキウスは翌年から166年までパルティア戦に従事し、
2年ほどローマで享楽的な生活を続けた後、
169年、ゲルマン人の支族の来襲の迎撃のため出陣します。

同じ年、マルクス・アウレリウスと戦場からローマへ帰還する道中で、
食中毒の症状を呈して床につき、数日後に亡くなります。

この後、マルクス・アウレリウスが
五賢帝時代最後の皇帝を単独で務めます。


参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「五賢帝」「アントニヌス・ピウス」「ルキウス・ウェルス」の項

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