2007年09月24日

イタリアの歴史050帝政ローマ6(暴君ネロとローマ大火)

59年に実母アグリッピナを殺害したネロ。

その後、ネロは妻オクタウィアと離縁し、再婚します。

 オクタウィアも62年に自殺を強要されます。

この頃には2度目の横領の咎で告発されたセネカが、
ネロに引退を申し出ていますが、
彼も65年にネロ暗殺の陰謀に加担したとして、
自殺を命じられます。


こうした経緯があった後、64年にローマで大火災が起きます。


この火災によりローマ市内のほとんどを焼き尽くされ、
多数の死傷者や被災者が出ました。

ネロはこの火災に対して真剣に対処しましたが、
復興の際に、広大な黄金宮殿の建設を行ったため、
その用地確保のために放火したという噂が絶えませんでした。

さらに、ネロの命によって放火されたとの流言に対しては、
当時の新興宗教であったキリスト教の信徒を放火犯として処刑します。

この処刑が、ローマ帝国による最初のキリスト教弾圧とされ、
キリスト教世界における、ネロの「暴君」としてのイメージが
構築されていくことにつながっていきます。

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ネロ」「ローマ大火」の項

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