2007年09月18日

イタリアの歴史049帝政ローマ5(暴君ネロの誕生)

5代皇帝となったネロは、当初は名君と言われていました。

それは家庭教師でもあり、高名な哲学者セネカや、
親衛隊長官の補佐を受けてのものでした。


しかし、数年後にはその善政が崩れ始めます。

原因の1つとして考えられるのは、
側近と彼の母親アグリッピナとの緊張関係。

 もともとネロが皇帝に就いたのも、
 母親の手助けがあったからでした。

ネロが席に着く時に彼女が隣に座っていたのを、
セネカが諌めたりしています。


次第にネロも母親の干渉を疎ましく思うようになり、
妻オクタウィアと離縁し、再婚しようとした際に、
彼女と対立し、殺害してしまいます。

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ネロ」の項


ネロの母親は今で言う、子どもへの過干渉だったのかもしれませんね。


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