2007年08月19日

イタリアの歴史044共和政ローマ37(第二回三頭政治の崩壊)

前36年、三者の確執が表面化し、レピドゥスがシチリアで蜂起し、
オクタヴィアヌス打倒を図りますが失敗し、失脚します。

残ったオクタヴィアヌスとアントニウスは、
アントニウスの妻と弟が蜂起したり、
アントニウスが後妻のオクタヴィアヌスの姉のオクタウィアを離縁し、
プトレマイオス朝エジプトのクレオパトラ7世と結婚したことなどから、
次第に対立を深めていきます。

そして前31年、オクタヴィアヌスらが率いる海軍が、
アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラ連合軍を破ります。

二人は自殺し、プトレマイオス朝は滅びます。

前29年、ローマに凱旋したオクタヴィアヌスは、
「プリンケプス(第一市民)」の称号が与えられます。

この「プリンケプス」とは、もともとは元老院内での
第一人者を表す称号として使われていましたが、
帝政においては、皇帝が全てのローマ市民の中での
第1の立場にあるという意味になります。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「アウグストゥス」の項参照

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