2007年07月08日

イタリアの歴史037共和政ローマ30(ローマの内乱)

前49年、元老院はカエサルのガリア属州総督の解任と、
本国召還を命じる最終勧告を発します。
(事実上の非常事態宣言)

それに対し、カエサルは同志の護民官がローマを追われたことを名目にし、
ローマ法により軍を率いて渡ってはならないとされていた
ルビコン川を越えます。


この時にカエサルは、有名な言葉、
「賽は投げられた」を残します。

因に、一般的な全文は、
「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。
(兵士たちを振り返り)進もう!神々の待つところへ!
我々を侮辱した敵の待つところへ!賽は投げられた!」です。

 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    「ヤクタ・アーレア・エスト」の項より

ルビコン川を渡ったカエサル軍の行動は素早く、
対するポンペイウスはローマにいたために軍を編成することが出来ず、
ローマおよびイタリア半島を放棄します。


ポンペイウスが自身の勢力基盤であるギリシアで、
軍備を整えることにすると、
多くの元老院議員が彼に従いローマを出て、ギリシアへ去りました。

こうしてカエサルはローマの実質的な支配者となったのです。


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