2007年03月05日

エリオ デ アンジェリス

”ザ イタリアンパワー イン モータースポーツ”

エリオ デ アンジェリス 1979年から1986年まで活躍したイタリアF1ドライバー。ローマ出身。

この人は、貴族家系の人。デ がつく人はそうらしいですな。で、オヤジさんは、ローマでセメント会社を営む富豪だったそうだ。

エリオのF1デビューは、1979年アルゼンチンGP。シャドウからのエントリー。このとき、まだ20歳。若いねぇ~。私の半分も生きていないじゃない。最終戦アメリカ東GP(当時は、アメリカ西GP、東GPと、アメリカで2度GPが行われていたのです。)で4位入賞。才能あるね。

でもって、1980年には、ロータスに移籍。ロータスって、名門ですよね。今はなくなっちゃったけど。

ロータスと言えば、黒いボディに金色の線、JPSカラーのマシンはかっこよかった。まっ黄ッ黄のキャメルカラーだったり、ブリティッシュグリーンにマルティニカラーだったり、スポンサーによっていろいろなカラーになってますけどね。、私の中では、やっぱりJPSカラーでしょ、ロータスは。

でもって、第2戦ブラジルGPで早くも2位。かっちょいいねぇ。

1984年には、ドライバーズランキン3位になっています。で、1985年にセナがロータスにやってきて、ロータスはセナムードに。翌年はブラバムへ移籍することになりました。

しかし、1986年5月14日。フランス、ポール・リカールサーキットでテストドライブ中にクラッシュ、マルセイユの病院で翌日帰らぬ人となってしまいました。

これは、クラッシュにより受けたダメージが直接の死因ではなく、テストであるが故にマーシャルがエリオを救出するのが遅れ、出火したマシンにしばらく取り残されていたためです。

これ以降、テストでの安全対策も、GPの時と同等レベルのマーシャルを配置することにしたそうです。

ちなみに、1994年魔のサンマリノGPでローランド ラツッエンバーガーの死亡事故が起こるまで、F1では死亡事故が発生していませんでした。このサンマリノGPは、セナの死亡事故、バリチェロも負傷など、大変なGPでした。

ちなみに、ジャン アレジは、エリオのヘルメットをモチーフにしたデザインのヘルメットを被っています。エリオはジャンのヒーローだったんだろうねぇ。


文責:イタル山本:若かりしころ、イタリア留学を夢見るも果たせず。90年代後半をニューヨークで過ごし、その間結婚、新婚旅行イタリアならぬ日本の温泉。その後アメリカで生まれた子供と3人で、イタリア旅行を果たした。F1やWGP好きのオヤジである。

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