2007年03月16日

イタリアルネサンス(その2/3)

Grazie(グラツェ)ありがとうございます。
イタリア文学について徒然に語るこのページ、ご覧頂きまして。 m(__)m
私はピノキオです。イタリア文学の認識を新たにしようとイタリア文学の旅をしています。
 
 
■今回は、『イタリアルネサンス』へ寄り道(その2/3)です。
 
イタリア文学を理解するのに、イタリアルネサンスへの認識は欠かせない。
そう言う意味で、3回シリーズで、イタリアルネサンスを概観してみます。
 
 
イタリアルネサンス(その2/3)
 
イタリアは古代ローマ帝国の文化が栄えた土地で、
古代の遺物も多く、彫刻家、建築家らはこれらから多くを学ぶことができた。
 
建築の分野ではブルネレスキがルネサンスの建築家の始めとされる。
ブルネレスキは当時困難とされていた、
フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に、
大ドームをかけるという課題に合理的な解決をもたらし、世の賞賛を浴びた。
 
中世の職人とは異なる、高い教養と科学的知識を持つ建築家の誕生である。
建築家としても知られるアルベルティは人文主義者であり、
「人間はあらゆるものになる可能性を持っている」と説き、
また建築、絵画に関する広範な著述など多くの分野で業績を挙げている。
アルベルティはルネサンスの理想である「万能の天才」の一典型とされる。
 
また、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロは、
それぞれ絵画、建築、彫刻など多方面での才能を発揮した。
 
イタリアでルネサンス文化が開花したのは、
フィレンツェミラノローマ、ヴェネツィアなどの都市である。
 
学芸を愛好し、芸術家たちを育てたパトロンとして、
フィレンツェのメディチ家、ミラノのスフォルツァ家などが知られている。
 
15世紀末にはサヴォナローラの改革によりフィレンツェの芸術は衰退し、
フランスとの抗争でミラノのスフォルツァ家も追放された(1515年)が、
ローマでは教皇によるサン・ピエトロ大聖堂などの建設が行われ、
多くの芸術家を集めることになった。
 
ローマ略奪(1527年)によりローマは一時荒廃したが、
ヴェネツィア共和国やトスカーナ大公国(フィレンツェ)で美術の隆盛が見られた。
 
 
■参考資料
ルネサンス  (Wikipedia)
 
 
Ciao!(チャオ)じゃぁ~またね~。
 
私(ニックネーム、ピノキオ)の親友が、大のイタリア好きで、
イタリア留学経験があり、社会人になり旅行保険業務でイタリア長期滞在経験を持ち、
イタリア滞在中、多くの日本のイタリア留学生に接し、最近、日本に帰ってきました。
私(ピノキオ)は、その彼から、イタリア留学生の話とかイタリア文学の話を楽しく紹介されたので、
それに触発されて、イタリア文学へ興味を持ち、イタリア留学生になったような気持ちで、
イタリアの文学への見識を楽しみながら広め深めしています。
このコラムは、私(ピノキオ)が書いています。

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