2007年03月13日

イタリアルネサンス(その1/3)

■今回は、『イタリアルネサンス』へ寄り道(その1/3)です。
 
イタリア文学を理解するのに、イタリアルネサンスへの認識は欠かせない。
そう言う意味で、3回シリーズで、イタリアルネサンスを概観してみます。
 
 
イタリアルネサンス(その1/3)
 
ルネサンス(イタリア語でリナシメント rinascimento)は、
イタリアフィレンツェなど地中海貿易で繁栄したトスカーナ地方の諸都市を中心に、
教会やイスラム世界、東ローマ帝国の保存していた古典文化の影響を受けて、
14世紀頃にはじまった、というのが一般的な理解である。
 
その先駆者はフィレンツェ出身の詩人ダンテ(1265-1321年)である。
ダンテは政敵によってフィレンツェを追放されたが、
流浪の生活の中で代表作「神曲」を完成させた。
 
ローマの詩人、ウェルギリウスを地獄・煉獄巡りの案内人として登場させ、
魂の浄化を経て天国へ昇ってゆくという内容であり、
ローマの古典文学とキリスト教による救済との調和を図り、一大叙事詩に謳い上げた。
 
続いてペトラルカ(1304-1374年)は、
古典古代の時代こそ人間性が肯定されていた理想の時代であり、
中世(キリスト教公認以降のローマ帝国が衰退した時代)を暗黒時代と考えた。
ペトラルカは古代の文献を収集し、ラテン語による詩作、著述を行ったが、
このように古典の教養を持ち、
人間の生き方について思索する知識人を人文主義者(Umanista ウマニスタ)と呼ぶようになった。
 
また、1453年のコンスタンティノープル陥落(東ローマ帝国滅亡)の前後には、
ローマから多数の知識人がイタリアへ亡命してきた。
末期の東ローマ帝国では古代ギリシャ文化の研究が盛んになっており(パレオロゴス朝ルネサンス)、
彼等が携えてきた古代ギリシャ・ローマの書物や知識は古代文化の研究を活発化させた。
 
人文主義者の一人、フィチーノ(1433-1499年)はメディチ家のプラトン・アカデミーの中心人物で、
プラトンの著作を翻訳した。
 
 
 
■参考資料
「ルネサンス」  (Wikipedia)
 
 
Ciao!(チャオ)じゃぁ~またね~。
 
私(ニックネーム、ピノキオ)の親友が、大のイタリア好きで、
イタリア留学経験があり、社会人になり旅行保険業務でイタリア長期滞在経験を持ち、
イタリア滞在中、多くの日本のイタリア留学生に接し、最近、日本に帰ってきました。
私(ピノキオ)は、その彼から、イタリア留学生の話とかイタリア文学の話を楽しく紹介されたので、
それに触発されて、イタリア文学へ興味を持ち、イタリア留学生になったような気持ちで、
イタリアの文学への見識を楽しみながら広め深めしています。
このコラムは、私(ピノキオ)が書いています。

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