2007年02月08日

ザ イタリアンパワー イン モータースポーツ

ザ イタリアンパワー イン モータースポーツ

モータースポーツのメッカといえばヨーロッパ。中でも、フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、などのスーパーカー王国イタリアは、モータースポーツになくてはならない国でしょう。

さて、このコラムは、自称F1オヤジであるところの、私、イタル山本が、、イタリアにかかわるモータースポーツについて、F1を中心に、独断と偏見に基づいて綴ります。お気楽にお付き合いくださいね。

さらに、イタリア留学やホームステイを考えている、車好きのあなた、そう、あなたですよ、あなた。イタリアとくりゃあ、モータースポーツの本場、車好きなら、レーシングドライバーやライダー、F1やWGPのことぐらい知らなきゃね。

「おお、このドライバーは、日本じゃあ、○○○って言われてたぜ!」

なんていう会話も、このコラムを読めばばっちりですよ。


ではでは、簡単に私の自己紹介をさせてきただきましょう。

1960年代生まれ。若かりしころは、イタリア留学を夢見るも果たせず。90年代後半をニューヨークで過ごし、その間結婚、新婚旅行イタリアならぬ日本の温泉。その後アメリカで生まれた子供と3人で、イタリア旅行を果たしました。F1やWGP好きのオヤジです。

池沢さとしのサーキットの狼がはやった、スーパーカーブームの時は、中学生。地元が、通称スーパーカー通りと呼ばれた環状8号線の近くだったため、毎日チェッカーモータースやオートロマンにスーパーカーを見に行っていました。

1976年、1977年に富士スピードウェイで開催されたF1を、リアルタイムで知る世代です。もちろん、当時はサーキットに観戦に行くことなでできませんから、TVの前にかじりついていました。

1976年、雨の中、チャンピオンシップトップの、フェラーリのニキ ラウダが、大雨での走行は危険と判断して自らリタイア。ロータスのマリオアンドレッティが優勝、チャンピオンシップ2位であったマクラーレンのジェームス ハントが3位に入り、チャンピオンシップを逆転、ハントが1976年のチャンピオンシップを制しました。

1977年は、ニキ ラウダに代わりジル ビルニューブのドライブするフェラーリが観客に突っ込み、死者がでるというアクシデントが発生しました。これにより、それ以降、日本でのF1開催が見送られることになりました。再び日本でF1が開催されるまでには、1987年の鈴鹿まで待たなければならなかったのです。


それでは次回より、イタリアに関係の深いドライバーたちを紹介していきましょう。


ちょっとお知らせ

CS放送 フジテレビ721では、F1 LEGENDS THE BEST GP ’83-’84という番組を放送しているのはご存知かな? 次の土曜日(2007.2.17)は、いよいよ「1984年第14戦・イタリアGP」 が放送されるぞ。

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